2021/02/27

修練時間、30分伸びました

今日から修練時間が30分伸びました。
といっても、通常の修練時間に戻っただけなんですが、個人技術の練習にこれまでの倍くらいの時間を費やすことができました。

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個人的には、朝から病院に行き、そのまま夕方まで仕事に出たりしてたので、30分伸びた練習でしたが意外と体には堪えました(^^;

さて今日の法話は、釈尊の世界観についての解説がありました。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静に要約されるのだそうです。

諸行無常は聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。平家物語の冒頭に出てきますね。
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
「祇園精舎の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。」という意味ですから、諸行無常は、事象は常に変化するものだという悟りということになろうかと思います。

諸法無我は、全てのものは相対的であり、自分以外の人によって生かされる、つまり因縁によって出来上がっていることを意味します。読本にも因縁(縁起)説という単元がありますよね。 そして真の自己を発見したとき、人はまことに得難い拠り所を得たといえる、、、、どこかで聞いたフレーズです。己こそ、己の寄るべ・・・よく整えし己こそまこと得がたき寄るべなり。

涅槃寂静を本当に体現できればそれは幸福の境地ということで、涅槃=煩悩の火が消えた安らぎの境地、寂静=煩悩を離れ苦しみがなくなった解脱の境地、つまりは悟りが静かで安らかな地=真の幸福の境地ということになりますね。
ただおそらく、人というのはおおむね煩悩に支配されているものだと思いますから、涅槃寂静の体現は簡単ではありません。少しでもそれに近づこうと思う「煩悩」を取り去ることができれば、前進かもですね。

ということで、現象の変化や生きていく上での因縁を受け入れ、煩悩のない解脱の境地の具現化ができるかできないかではなく、釈尊の世界観=「正しい教え」を知り、少林寺拳法の目指すところを確認することが大事なのだと思います。
真剣に考えることは大事ですが、真剣に実現しようとしないことも大事かな、って思いました。