2021/03/27

気が付けば3月最後でした

私事、2月、3月は仕事が結構キツかった割にはよく参座していたなーという印象です。先週は休みましたが、、、m(__)m
気が付けば3月最後の土曜修練日でした。

今日も盛況な参座状況でしたが、そうはいっても感染対策には十分に気を配りながら修練を進めました。
鎮魂行、法話、準備体操を終えた後、基本練習に入ります。
昇級試験を控えた拳士がいますので、試験対策的な技や動きを多めに取り入れました。
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基本的な突きの練習では、体重移動と上半身の反転を意識した指導がありました。膝を屈伸することで上半身が誘導されるという解説を実際に動きを確認しながら自分の形を作っていきましょう。
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休憩をはさんで個別の技術練習に入ります。
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それぞれの課題を練習したり、初めての技に取り組んだり、限られた時間で個人練習を行いました。最後に成果発表を行い今日の修練を終えました。
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さて、現在札幌では、新型コロナの感染が増加傾向にあるようです。札幌市の感染対策次第では、北海道が4月16日まで3週間、不要不急の外出や、ほかの地域との行き来を控えるよう道民に協力を要請することが決まりました。
わが道院も感染対策はとっていますが、道院外での個々人の活動までは制限ができない以上、それぞれが意識を高く持った行動が求められます。ワクチンの接種はまだ先だと思いますし、接種をしても万能ではありませんので、やはりリスクを減らすには不要不急の外出を控えるなど、できるだけ他者との接触を断つことが感染予防の近道ではではあると思います。ただそれも、学校や仕事を考えれば限界はあるのだと思います。こんな生活にも飽きてきたというのが本音ですが、地道な努力を続けていくしかなさそうですねー。

2021/03/13

暖かい1日でした

この1週間は日中の気温が5度以上になる日が続きました。3週間前の大雪が嘘のように良い天気に恵まれ、その時に降り積もった雪以上の雪解けが進んだように思います。
夜になっても暖かさが若干残り、練習していると汗ばむ感じでしたね。
今日も検温、手洗い、消毒、マスク着用、気合の声出し抑制などの対応のもと、元気ハツラツ、基本練習を約40分間、みっちりと行いました。
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法話では、少林寺拳法の基盤についての解説でした。
少林寺拳法の創始は、開祖の戦争中の体験から「人」づくりを痛感しことに始まります。その教えの根本は、釈尊の「正しい教え」であり、達磨の行法です。釈尊の「正しい教え」により理性的な人間性を養い、達磨の行法である易筋行により拠り所となる自分を確立する拳禅一如の修行として開基されています。
簡単にまとめてしまいましたが、実はもう少し深い話しでした。僧階を持つものとしての責任にも触れていたと思いますが、身体を動かすと記憶が薄れ、なかなかうまく文字にできないこの状況は反省材料です。

2021/03/06

3月になりました

季節は「春」と言いたいところですが、2月の最終週はひどい大雪で仕事に行けず、行ったら帰れずというトホホな状況でした。昨日は12度まで気温が上がり、雪解けが進みましたが今日は氷点下。解けた雪が凍り、マダラに解けた雪で道路は荒れています。

今日は賑やかな修練になりました。単身赴任から戻ってきた拳士、久々に土曜修練に参座した中学生拳士など数人増えただけで雰囲気が変わるものですね。
ただ、たくさんの拳士でおこなう修練はすごくうれしいのですが、このご時世、ちょっとだけ気をつけなきゃなー、なんて思ってしまうのは私だけでしょうか。でも、マスク着用、検温、手洗い&消毒、整列時の距離感にも気を付けているので気休め程度の心配ですけどね(^^

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そんなわけで今日の準備体操は2人組で柔軟をやったり、足上げをやったり、自分の体の硬さ加減に新鮮な気持ちになりました^_^;

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修練は今日も20時30分まで。ラスト15分で今日の成果発表を行ってお開きとなりました。
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今日の法話は、縁起(因縁)説でした。釈尊が発見した真理で「万物は因縁によって生滅する」という端的な言葉に置き換えることができるということです。つまり、すべてのものは相互に関連し、過去、現在、未来を絶えず循環する「因縁の法則」の中で存在しているという解説をいただきました。
自分という存在を考えてみても、親がいて、親の親がいて子供がいて、過去から未来へ脈々とした繋がりがあり、存在においては直接的間接的な他者との関わりの中にその存在があることに気づきます。これは、全てのものは相対的であり、自分以外の人によって生かされる「諸法無我」に通じるものです。
我々はこうした釈尊の「教え」を少林寺拳法を通して学び、「半ば己の幸せを 半ば他人の幸せを」という開祖の言葉を継承・実践する力を培うのです。
文字にすると難しいのですが、今日の法話から、自分としては自分を取りまく多くの人や物にできるだけ感謝できる人間でありたいな、と思いました。