2022/09/24

因縁説と可能性の種子

 9月から修練の方法を試行しています。1カ月が経過しましたが、まだその成果の検証には至りません。もうしばらく様子を見て今後の改善につなげていくことにしました。

さて、今週も3連休中の修練となりましたが、大会が近い拳士もいるので多くの拳士が参座してくれました。少林寺拳法を始めた動機はそれぞれだと思いますが、修練や教義、道院での人とのつながりを通して何かを得ようと思っているのではないでしょうか。







今日は道院長から因縁説の話しがありましたね。因は原因であり、縁は原因を援けて結果を生じさせる間接的な力のことです。

少林寺拳法では、全ての人間を可能性の種子と信じます。そして因縁説においては、可能性の種子である人の存在が原因であり、この可能性を信じること、信じて自らの理想、目標に向かっていく努力をすることが縁であるという解説だったと思います。

間接的な要因は能動的な努力の他にも、受動的に自分に関わる全てであるといえるのではないかと思って聞いていました。

縁にも可能性を感じて、日々の出来事を受け入れられるようになったなら人として大きくなれるのでしょうね。すべてを受け入れられない自分は、人の器としては「道半ば」というより、人生の折り返しを過ぎてもまだスタートラインにいる思いです。