2019/02/03

2月です!

早いもので2月に突入です。
��月の後半は大雪や寒さや電車の運休などに見舞われ、あれよあれよと過ぎた感じです。

��月最初の修練となった今日の法話は「般若心経」でした。
すべての物事には実体がないということはなんとなく判りましたが、法話を聞いているうちに「無」の話しが混乱してきて頭が渋滞しだしたので結局、最後は何のことかわからなくなりました。
なので、解釈はいくつかるようなのですが、Webから解説の一部をお借りします。https://butsuzolink.com/gendaihannyashingyo/

人の身体を含めた全ての物質は、常に実体なく絶え間なく変化しています。物質とモノではない頭や心の働きも、同じように実体がなく変化の絶えないものです。このように、万物の有り様は、実体なく移りゆくものなのです。

人の心を動かすために必要な感覚器官とそれに対応する対象物も存在しないのですから、人が認識する全ての物事を思考することで心が動くということは、全くないのです。このように、人の感覚器官も、その対象物も、そしてそれらが引き起こす心の働きも存在しないならば、そもそも悟りについて無知であるということすらなくなり、悟りについて無知である状態から脱しようと頑張ることもないのです。
そもそも悟りについて無知であるということすらないのであれば、そこから発生している老いや死のような苦しみも存在しないし、苦しみから逃れようと頑張ることもまたないのです。つまり、この世の苦しみも、苦の原因も、苦しみが滅することも、そのために修行することも存在しないのです。
そして、悟りに至るための具体的な智慧も存在しません。その智慧を得ることもないのですから、悟りに至るために必要な智慧を得ようと拠り所にするが故に、悟りを求めて修行をしている者の心には、こだわりや固定観念がないのです。このような修行者には、こだわりや固定観念がないので、恐怖もありません。その結果、悟りの智慧が完成し、極まった境地に達するのです。
過去にも現在にも未来にも、いつの世も、悟りを得た者たちは、悟りに至るために必要な智慧を得るためにすべきことを拠り所にしているので、一切の真理を隅々まで正しく知ることのできる最高の悟りを得るのです。

うーん、わかったようなわからないような。煩悩の塊のような私は、感覚器官も正常に機能し感覚の対象たる物質も感じます。固定概念の塊ですらありますので修行者の域にも達していないということは、無から悟りの智慧をえることもあり得ません。
まー、おそらく私だけではなく、貧富の差や社会的地位などに関係なく人類の大方がこの境地にはいないと考えれば、少しは気が楽になるのでしょうか。般若心経、深すぎます。

さて、年明けからの練習では、基本練習において移動を伴った練習や相対による練習プログラムを大目に取り入れているような気がします。そして利き手の逆も積極的に練習するようになっているように思います。今日もそのように練習を進めました。
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利き手じゃないほうは、有段者でもうまく運ばないことがありますね(ほんとはダメなんですけど(-_-;)・・・)
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後半は各自の昇級試験に向けて指導を仰ぎ、協力して技術練習を重ねました。
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昨日からの暴風が今朝まで続きました。練習が終わるころには落ち着いたようですが、明日の後半から月曜日にはまた風雪が強まりそうな予報です。通勤やお出かけの際には、十分気を付けてください!